新人達との1年を教育担当づらで振り返る

2019/12/15
この記事は「大都会岡山 Advent Calendar 2019」の15日目です。
このために土日をかけてブログを作り直しました、システムごと……何をやってるんだろう、自分。
WordPressでも入れておけば、もっと早く済んだだろうに(本当にな)

何を書こうか悩んだのですが、年末なので、この1年を振り返るような記事が書きたいと思い、この2年ほどの間で自分の身に起きたあれこれについて書こうかとも思ったのですが、読んでも誰も幸せにならないのでやめておきます。あれは厄払いしたいときに書こう。


自分の体調はさておき、この1年、いや、正確に言うと6月半ばくらいからなのですが、急に新人教育担当になったりしたあれこれについてでも語ろうと思います。1年でなく半年を振り返るんじゃないか……とか言わない。ちゃんと1年振り返ります。

まず今年の1月から6月前半まで、私は別のシステム担当の子の教育というか、技術指導的なことの担当をしていました。先輩バカなのは百も承知なのですが、この子達は本当に優秀で、サーバ系にも強くなりそうな子、記事移行の作業でコーディング調整もできるようになった子、JavaScriptにも興味を持ってくれそうな子……と、6月になる頃にはそれぞれに得意分野が確立し始めていました。

最初は内気な子もいて、どうなるかと心配していたのですが、それぞれが得意そうなところをメインに担当しながら、私がいなくてもきちんとコミュニケーションをとりつつ、連携した作業もできるようになっていて、少しずつ外出が増えていた私は超大助かり!先輩バカ全開で上司に後輩自慢報告をしたりしました……思えばこれが良くなかった気がする。

私は小躍りするくらい仕事が楽になり、順風満帆という体だったのですが、できる子はよりシステムをメインに扱うチームでの需要が高いということで、6月のある日、隣の先輩のチームに引き抜かれて行ってしまったのです。
お願いだから●●くんを残して!(当時、私が外出中にメインでシステムを任せていた子)」という訴えも当然却下です。まぁ……システム、特にサーバ系の技術を身に着けるなら、私のチームにはいない方がいいですしね。彼らはこの半年でさらにスキルアップしました。若いって素晴らしい!前半を担当した甲斐があったというものです。


そうして私のチームからごっそりとシステム担当がいなくなった代わりに、私のチームに2人の新人メンバーが来ました。1人はデザイナーで、1人はシステムの子です……システムの人間にデザイナーの新人担当させるのって良いのか?とか思うより早く作業がスタートしました。

いや、スタートしないといけない状況だったんですよ。システムの子が抱えてやってきた案件が、かなり際どい感じの状態だったので(お察しください)、私は何がどうとか考える間がなかったんです。

とにかく案件について教えてもらう、ヒアリングするという名目を述べながら既に半泣き一歩手前の新人ちゃんから進捗をできるかぎり漏れなく聞き出し、タスクと要件を整理し、送り出したばかりの元主力のヘルプを要請しながら、自分の作業もしつつ、新人達の質問に1日答えまくるという状況で、デザイナーがどうとか、システムがどうとか考える余裕がなかった……これはいつもチームで言っていることですが、みんな、先輩の悪いところは手本にしないでくれ、マジで。


しかし、この修羅場は結果的にはプラスに働いたようにみています。「とりあえずこの案件が落ち着くまで、何とかしないといけない」という共通の目的で、チームの結束は一気に固まったのは確かです。
どげんかせんといかんということで、頭が沸いていながらも、私はとりあえずのチームの方針を決めました。それは、担当という垣根は一度忘れて、できることは皆で手伝うということです。何しろ炎上手前なので、プログラマーだからーとか、デザイナーだからーとか言って作業を躊躇していると、あっという間に作業が詰まるのが目に見えていましたし、私が新人達のスキルを把握できていなかったため、恥ずかしながら、その分担を正確にできる自信がまったくなかったんです。

あと、こういうことを言うと上から目線ですが、新人達のスキルが当時時点で高くないことくらいはわかっていました。メインの作業で詰まっても、自分にはまだできることがある、手伝えることがあるというのは、それだけで心を支えてくれるものです。でも、今の状態であの子達が作業に詰まってしまうと、そこを突破する以外に、できることはおそらくない……それはいかん!ダメ、絶対(血涙)1●年前の新人時代の自分を思い出した私は、何としても新人達の心が折れるようなことだけは絶対に避けてあげなければと思ったんです。


私は呪文のように「大丈夫、大丈夫」「まだ何とかなる」「ここまでできてたら、次はこっちやればいいから」というようなことを、毎日言い続けながら、新人達を作業に向き合わせていました……半分くらい洗脳に近かったと思う、ごめんな。

私のちょっと(卑怯な)半洗脳がプラスに効いてくれたのか……いや、新人達の底力が開花しただけだとは思いますが、手が空いたときにデザイナーの子がシステムの動作テストを手伝ってくれたり、システムの子がコーディングや画像の切り出しを手伝ってくれたり、2人でコーディングの調整を頑張ってみたりしつつ、作業自体は止まらずになんとか流れ続けました。
もちろん、マネージャーが裏で色々とチェックしてくれたり、他チームに移籍した元システムの子が作業を手伝ってくれたりもしました。お前、本当にできる子だなぁ!(先輩づら)私もコーディングをしながらシステムを組み込み、デザイナーの分までバナーをデザインしながら提案用のデザインワイヤーを作ったりしつつ、耐えること1週間強……案件が落ち着きはじめ、ようやくシステムの子にも笑顔も出てきた、やれやれこれで一安心だな〜となったところで、余裕ができた私に、あの疑問が再燃したわけです。


システムの人間にデザイナーの新人担当させるのって良いのか?


もうこの時点で7月も半ば、「ものすっごい今更ですが…」と上司に相談したところ、「え?今言うの?」と……そりゃそーだわ。特に上司もデザインスキル的な教育を期待しているわけではないという点だけ確認して、チームは続行になりました。


こうして、本格的にチームとして動くようになった頃、私はこっそりと、「新人達の本当の得意分野で自信を伸ばす」という目標をこっそり打ち立てました。2人はデザイナーとプログラマーですが、本業以外にそれぞれ得意そうなところが見受けられたので、試しに色々とやらせてみようということにしました。

実はこれは、本当に困ったので、しぶしぶ、仕方なく、恥を忍んで父に相談したんですよ。一応(普段はあんなのでも)デザイナーとしての父は大先輩です。仕事の面では尊敬してるんですよ、これでも……で、その父いわく、「若いんだから、何で芽を出すとかわからん。いろいろやらせてみりゃいい」と。そして、「お前はその子をWebデザインしかできないデザイナーにしたいのか?」と言われました。正直、これが1番響きました。


現在も同じチームで頑張ってくれてる新人達ですが……これは、どうだったんだろうなぁ。この判断が新人達にプラスだったのかどうか、まだ自信ないですね。ただ、私は毎日ものすごく助かってます。

まず、デザイナーの子は動画やイラストが結構できることがわかり、本人も可愛い感じのデザインが楽しいようです。途中でコーディングを覚えた結果かはわからないですが、最近はパララックス等のアニメーションにはまっている様子。どう動かすか考えながらデザインするのが楽しいらしい……あ、動画好きだからか!あと、いつの間にか1発OKを連発するスーパーデザイナーになっていました。1発OKもらえるデザインがあがってくることが、どれだけ助かるかというのは、説明するまでもないと思います。

システムの子はコーディングができるようになり、コーディングしつつシステムも組むというマルチなことができるようになりました。どうやら元エースと違い、サーバなどの裏側よりも、ビジュアル寄りのプログラムが得意らしい。あと、意外とPowerPointのスキルが高く、最近は提案書の作成や解析のまとめを手伝ってくれています。1番若いので、慣れていないパターンやタイプにぶつかったときのコーディングに、よく唸っているようですが、ここは経験値がものを言うので、少しずつ頑張ってもらえたら大丈夫かなぁと。


そんな感じで1年間、ばたばたしながら教育担当的なことを、修羅場になったりしながらこなしてきましたが、まとめると、本人の特性を伸ばせそうな環境と、やる気を折らずにすむような状態をどう作っておくかだけを必死に考えただけで、私がやったことほとんどないんじゃないかなっていう……教育担当とは一体。

優秀な後輩達に支えられて、社内に見本になる良い先輩もいてくれるおかげで、ダメな先輩でもなんとか新人教育担当的なものが務まっているようです。なんだか最終的に「うちの子すげーだろ!」自慢で終わってしまった気がする……いや、この子達に限らずですが、弊社に入ってくる子達はいつもすごいなって、毎回思うんですよ。

来年は私もプログラマー定年年齢です。年々下がる社内の平均年齢に負けず、できれば1つくらい、新人達にとって先輩らしくになれる部分があるように、来年も頑張りたいと思います。